スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
-------- : スポンサー広告 :

スカーレット・オハラ

https://www.google.co.jp/search
小学生の頃、夏休みに親戚のいる栗東に遊びに行き
暇さあって、連れていってもらった図書館でふと、「風と共にに去りぬ」の小説を手にとった。
そのときも、いまでもその本を完読はしていない。


現在、あらふぉのいい歳?になって、映画「風と共に去りぬ」を、初めて観た。
立ち寄ったツタヤで、ふと目に留まった映画だった。

ネットを広げると、スカレーット・オハラへの解釈、感想は様々。

只、事実として、演じたヴィヴィアン・リー、彼女本人も壮絶な人生であった様。
そこは、個人の人生として、記録したいのはやはり、スカレーット・オハラ。

冒頭から、気の強い女性であるあことは観れば誰もが同じ感想だろう。

裕福な家庭に生まれ、言い寄る男性は数知れないその美貌と鼻につく勝気さを持った女性。
南北戦争という激動の時代に、生まれ育ったタラの大地に立ち、『飢えに泣いたりはしない!』と
神に誓うラストシーン。

“生き抜く”決意、この映画が製作されていたのは、日本と戦時中というから驚き。
その時代に、生死を目前にして気丈に生き抜く女性を主人公にした映画が作られたいたわけで
ヴィヴィアン・リーの演技力に魅入ってしまうことはもちろんのこと、ハリウッドならではのスケールにも驚く。

感想の多様性はある。
わたしが感じたのは、本質は変わらないものかと。

どんなに激動の時代に過酷な人生を持ったとしても、例えるならスカーレットのような気丈な女性が居て
彼女の価値壮観が変わったかというと、それまで以上に、その試練が与えられるたことで
そのキャラが一層にして強みを持ったことにほかならないように思えた。

クソ生意気なわたしのことを思えば、毎日泣いて過ごした時期がある。
今でこそ辛いと思えたときにはその過去よりも辛いだろうかと叱咤する。
そして、時間が経てばまた調子の良い日に安堵してしまうといった
相変わらずも生意気えいて調子コイタ自分に戻ってしまう。

本来の素質、気質はこうも、変わらぬものかと。

人は、辛い経験を得て、新しい自分に出会うものに思える。
そして、自己啓発の本を読みふけるとまたそういう気分のなるものだ。

実践できるには自分次第で、本の内容通りにも行かない。
真に素直さを求められている。
それだから、生かせれているのだろうか。
主観的には、生きることは試練だと思っている。
両親にいつも、いまでも叱咤されるよ、或いは激励だが。

『素直になれば、きっと、神様が救い上げてくれるんだから』と。

素直になることは、人生の試練ですね。


故郷アイルランドの血潮をかんじながらか、タラの大地に立つシルエットに空とのコントラスト、そしてサントラ。
いや、ヴィヴィアンの演技、スクリーンショットといい、名作といわれるには納得の珠玉の映画。


加筆すると

『“たとえ物を盗んだり、人を殺したとしても”、家族を飢えにすることはない、神に誓う、決して飢えに泣いたりすることはない!』

“たとえ物を盗んだり、人を殺したとしても”に違和感を覚えるのだが。
アイルランド系移民で、カトリックのスカーレットが宣言するシーンだが
そこまで言わしめるほどの、過酷な体験を得た彼女の決意を際出させるための台詞だろうか。
こればっかりは、体験はおろか、カトリック、白人でもないゆえわからぬが、そっと捨ておこう。


スポンサーサイト
2015-09-08 : 映画・ドラマ : トラックバック : 0 :
« next  ホーム  prev »

検索フォーム

プロフィール

mm

Author:mm
放談日記
たまに政治ぶろぐ


政治 ブログランキングへ

QRコード

QR
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。